新型コロナウイルスの感染者数の急激な減少を説明できるかもしれない興味深い学会報告がニュースになっています。感染拡大時のウイルスゲノムを調べてみると、nsp14というウイルス遺伝子に変異を持つウイルスの割合が増加し、最終的にはほとんどのウイルスにnsp14変異が認められたとのことです。
私が担当する微生物学講義では、努めて新型コロナウイルスに関する情報を紹介してきました。「Coronaviruses as DNA Wannabes」という総説は2学年続けて紹介しました。「ワナビー(wannabe)」というスラングを論文タイトルに使っているのが面白いと思ったからです。「ワナビー」は、「want to be」を「wanna-be」と発音することから生まれたスラングです。英語では「I wanna-be a movie star」というように発音します。「自分では映画俳優になりたがっている(けど実現しそうもない)人」のことを、「He is a movie star wannabe.」というようにネガティブな使い方もするようです。
先ほどの「Coronaviruses as DNA wannabes」は「DNAウイルスになりたい(けどなれないRNAウイルス)」という意味で使っていると思われます。例えば当研究室の研究対象である「ヘルペスウイルス」は大きさ約180キロベースという大きなウイルスゲノムを持つDNAウイルスです。大きなDNAゲノムを正確に複製するため、「校正機能付き」のDNAポリメラーゼをコードしています。「校正機能付き」DNAポリメラーゼとは、DNAを鋳型として新しいDNA鎖を合成する際に生じる「複製エラー」を修復する仕組みです。一方、コロナウイルスはRNAウイルスですが、ウイルスゲノムは30キロベースとかなり大きめです。RNAウイルスですからRNAポリメラーゼを使ってウイルスゲノムの複製を行います。一般にウイルスのRNAポリメラーゼは校正機能を欠きますが、例外的にコロナウイルスは「校正機能付き」のRNAポリメラーゼを持っています。今回の報告で変異が見つかったnsp14遺伝子は、RNAポリメラーゼ複合体の構成成分の一つである「exonuclease」をコードしています。「exonuclease」は、RNA鎖の3’末端から5’側に向ってヌクレオチドを削る活性を持っています。RNAポリメラーゼがexonuclease活性を持つことで、間違って取り込まれたヌクレオチドを取り除いて、正確なRNAゲノムを複製することができます。nsp14は、いわばウイルスゲノムの正確性を守る番人です。
コロナウイルスのnsp14遺伝子に変異が入ってしまうと、RNAポリメラーゼの校正機能が失われ、ウイルスゲノムが複製するたびにウイルスゲノム上にコードされる様々なウイルス遺伝子に変異がどんどん入るようになります。当然、ウイルスにとって致命的なウイルスゲノム変異が入る確率が急上昇します。そのような変異が蓄積することで、感染能力を失ったウイルスや、感染しても体内で増えることができないウイルスが大勢を占めるようになると、ウイルス感染が自然に収まることは容易に想像できます。
今回の学会報告はまだ論文にはなっていない(プレプリントサーバーにも論文が見当たらない)ようなので詳細は不明ですが、新型コロナウイルス感染者数の急激な減少を説明できる報告として注目されます。コロナウイルスの爆発的な感染拡大の代償として、ウイルスゲノムの番人であるnsp14に変異が入ることで急ブレーキがかかったのかもしれません。nsp14変異を持つウイルスが変異を持たないウイルスに比べて優位となった理由は何か、nsp14遺伝子変異は(日本を含む)東アジア特有の現象か、など興味が尽きないところです。今後、インバウンドの再開でnsp14に変異が入っていないウイルスが再び増殖することも考えられるので、決して油断はできませんが、このようなことを繰り返しつつ、他のコロナウイルスと同様の季節性コロナウイルスになっていくのではと予想しておきます。